先日、今回で12回目となる万葉ウオーキングのご案内をフェイスブックにて見つけた。
最近、ウイークエンドで都合が入ることが多くなったため、今回は参加が叶わない。ちょいと残念である。せめて提示された行程を徹底的に「予習」し、頭の中でコースを辿ることで、参加したつもりになってその魅力を味わい尽くそうと思う。なあに、場所感だけは自信がある。あとは知識の問題である。
まず、提示された行程を目にして、思わず「そうきたか」という印象であった。何も知識を持たずに歩けば、そこには何もない大和盆地の平凡な農村風景が広がっているだけである。けれども、いささかの古代史についての知識をもとに想像力を膨らませれば、そこには、万葉人の息遣いが、そして古代国家を築きあげてきた人々の想いが交錯する…そんな光景が眼前に広かるであろう。
これがこのウオーキングの醍醐味である。
大和路には残っているものが多くはない。想像力が全てである。
集合、出発の地はJR巻向駅である。駅を降り立てば、そこはもう邪馬台国伝承地として名高い纏向遺跡の領域である。そして線路を挟んだ駅の反対側に広がる100m四方ほどの広場が…纏向遺跡第166次調査に於いて3世紀前半のものと思われる建築遺構が発見された場所である。19,2m×12,4mという規模の3世紀中頃まででは国内最大規模の建物跡が発見された場所である。そして発見されたのはその建物跡だけではないこと、皆様の周知の事実。
そして出発。西に3〜40分ほど足を進めると、やがて村屋坐彌冨都比賣神社のこじんまりとした森が見えてくる。このお社には三輪山の大神神社の大物主大神の奥様でいらっしゃる三穂津姫命を祀ることで知られる。ここについては以前かなり詳しくこのブログで述べたことがある。以下を参照にして次に進みたいと思う。
https://www.sanpendo.com/2022/01/22/post-819/
と
続いて岐多志太神社と素戔男神社である。この二つのお社は恥ずかしながらこの予定表を見るまで知らなかった。
岐多志太神社は村屋坐彌冨都比賣神社の北西200mほどに位置する小さな神社だ。祭神は天香山命と天児屋根命。後者の天児屋根命は御存知の通り藤原氏のご先祖様。自分で原典にあたっているわけではないので、自信はないが天香山命は古事記には登場しておらず、先代旧事本紀という書物の中に出てくる神様らしい。天児屋根命は例の岩戸隠れの際に活躍する神様であり、その際の祭礼に天の香具山の鹿の骨やらなんやらが使われているところを見ると、この二柱の関係はそう浅からぬ関係にあるように思う。また、先代旧事本紀においてはこの天香山命と高倉下は同一神とされているそうなのだが、その高倉下は神武東征の際に霊剣布都御魂を神武天皇に下した神である。この布都御魂も春日大社には祀られていることから天児屋根命との縁はこれまた浅からぬものがある。
とここまで書いてきて、少々息切れがしてきた。続きはまた次回ということで…としようと思っていたらこの神社の社殿が目に入ってきた。
この神社の祭神天香語山命の名は、石凝姥命とも呼ひ、天児屋根命と共に、鏡作座天照御魂神社と同じ、石疑姥命・天児屋根命を祀屯る。この地域の祖の物部大木連一族に、鏡作連の祖、鍛冶師連があり、「岐多志太」は「鍛冶帥田の萬菓仮名文宇の表記か。大木に「カヂヤカイト」「カンヂチャウ」の小字名かあり、これらに関わる地名か。又、天香語山命は天ノ岩戸神話で天照大御神を岩戸から出すのに歌舞音曲を用いた事から、芸能の神とされ、この大木に「フエノキ」「ツツミウチ」「ヒョシダ」の小字名があり、雅楽に関連する地であったのではないだろうか。
「岐多志太神社由緒」水木要太郎 編
これに従うならば、上に述べたこととはだいぶ違う話になる。要はこの天香山命の別名がどうであるのかという問題に論点は集約されよう。当日、講師の先生はどのようなお話をなさるのか…聞けないのが残念でならぬ。
続く
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