多武山

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多武山たむのやま

舎人皇子とねりのみこたてまつる歌(二首のうち一首)

ふさ手折り 多武たむの山霧 繁みかも 細川の瀬に 波騒きける

(ふさ手折り)多武峯の山霧が深いからだろうか、細川の瀬に波が随分とさわいでいるなあ。

(九・1704)


多武山

桜井市と明日香村の境界にそびえる多武峰とうのみね(607m)。 藤原鎌足 をまつる談山たんざん神社がある。「とうのみね」は「たむのみね」の音便。談山神社の「」の字は「たむ」という音を漢字表記したもの。現在よく語られている、「大化の改新の際に中大兄と藤原鎌足がそのの計画をこの山で語らった」とされる俗説は、「たむ」を「談」の字にて表記したことから来たもの。

上記の歌の枕詞「ふさ手折り」はたくさんの茎を折り曲げる意から「たむ」にかかる。「たむ」は折り撓めること。枕詞との係り受けだけから考えれば、「たむの山」という名はその山容が草木を折り撓めたような形をしていることから来たものと考えられる。ただし、枕詞はし発つ続く語の音に関与はするが、意味内容には必ずしも関与するとは言えないことから、上記の理由だけで山の名の由来を断言することはできない。

「飛鳥時代に道教を信奉していた斉明天皇が、その山 頂付近に石塁や高殿を築いて両槻宮ふたつきのみやとした(日本書紀)ことから、この山が吉 野山と並んで神仙の地と考えられていたと推定できる。

田身嶺たむのみねに冠らしむるに周れる垣を以てす。た嶺の上のふたつの槻の樹の辺に、たかどのつ。なづけて両槻宮ふたつきのみやとす。また天宮あまつみやと曰ふ。

日本書紀 斉明天皇二年