再び、葛城古道をゆく

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時々怠ることはあるのだが。我がブログは週一回の更新を恒例としている。誰に求められるわけでもなく、勝手にそう決めているだけだから、時々この恒例は守られないこともある。誰に怒られるわけでもないのだから別に無理に更新する必要もないのだが、時折更新ができない週があるとちょいと罪悪感に苛まれてしまうそんなたいしなものではないかな?

少々無理をしてでも、定期的に何かしら文章を書くということがボケ防止になるとも聞くから、今のところこのペースでの更新を続けてゆこうと思っている。

ところで、この間まで「私がブログを始めた頃」と称して何回かに渡って「私がブログを始めた頃」のことを振り返ってみた。

何度も引っ越しを繰り返していたこともあり、始めた頃に書いたものは全て失われてしまっているのでどんなことを書いていたのか全く思い出せない。たぶん、今書いているものと同じように益にもならぬことをくだくだと書き連ねていたに違いない。

覚えているのは、複数のブログを同時に運営していたことと、そのために今とは比べ物にならないほどのペースで…週に3〜4本ぐらいの駄文をものしていたということぐらい。

ブログを書き始めた頃はデジカメなるものが我が家には存しておらず、スマホはおろか携帯電話も私は所有しておらず、写真なしの味気ない記事で読んでくださる皆様のお目を汚していた。ただ、その頃の私はそのことを逆手に取り、写真や図なしで、すなわち我が拙い文章のみで、皆様に大和の風情を味わっていただこうという無謀を試みていた。

その頃の名残が…ほんの僅かながら、古い記事を集めた「三友亭倉庫」に収められているのを思い出してちょいと懐かしく思い出していた。「葛城古道」という一文である。グーグルドキュメントに文字数を勘定させると、文字数が10402及ぶ大作(?)である。無論一回の更新で書いたものではない。

鴨都波神社 近鉄御所(ゴセ)の駅を降りると、その西に我々を威圧するように聳えるのが葛城山だ。今は「カツラギ」…
この葛城古道も写真なし、地図無しで皆さんにこの古道の趣を味わっていただこうという身の程知らずの試みであった。

しかも、この文章を書いていた頃私はこの葛城古道という道を一度も歩いたことはなかった。ただ仕事の関係で、その近辺を何度か車で通り過ぎていただけである。グーグルマップを見ながら、ウエブ上のアチラコチラの情報を切り貼りしながら書き上げたのが、この10402字であった。全く…不誠実な極みであった。

しかし…不誠実を不誠実なままに終わらせておくわけには行かない。それに、今読み返してみると???という部分も少なからず目につく。

そのままにしておく訳にはいかない誰がいうわけでもないが

幸い、そこに書いてある何箇所かは、その後実際に訪れる機会があった。その時撮影した写真もいくらかはある。

てなことで、焼き直しのそしりは免れ得ないが、少しでも不誠実の加減をちょいと目減りさせてやろうということを思いついた。よろしければ、以降何回に及ぶか想像もつかないがお付き合い願えれば幸いである。

写真は葛城古道南端に近い場所にある高天彦神社である。葛城古道を南下しながら、最終的にはこの神社を目指したいと思っているが…たどり着くのはいつになることやら…

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