ふたたび葛城古道をゆく…高天彦神社

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高鴨神社にいらっしゃる高鴨阿治須岐詫彦根たかがもあじすきたかひこね命に手を合わせた後に向かうべきは高天彦たかあまひこ神社である。高鴨神社から高天彦神社までは地図上の距離で2.5km。ちょいと急いで歩けば30分ほどの距離であるが、山に向かって進むためこの道のりの高低差は150m弱ある。40分は見ておいたほうがいいんじゃないかと思う。

ともあれ、高天彦神社に向かうことにする。鳥居を出てすぐの右手にある蕎麦屋さんを気にしながら、もう少し西に進むと道は二股に分かれている。右は自動車道。きちんと舗装されているし、自動車だって十分にすれ違える。けれども、ここはゆっくり葛城古道を歩こうとしているのだから左側の道を選ぼう。コンクリートで簡易的舗装された農道である。軽自動車がやっと通り抜けることができるほどの道である。

金剛山の方向すなわち西に向かって200mほど進むと、右手に向かう道すなわち北に向かう道が見えてくる。ここを右に曲がってやはり200mほどで再び進路を西に転じる。100mとちょっと進むと結構道幅の広い、自動車が頻繁に行き来する道に出くわす。県道30号線である。地元では山麓線との愛称で、結構親しまれている道である。ここを右に曲がり、1kmほど北に向かう。道を行き交う自動車の数は結構多いのだが、ちゃんとした歩道があるので安心である。

さて、「高天」と書かれた標識が見えてくる。標識に従って金剛山に向かってさらに高度を上げる。先程までいた高鴨神社の標高は290mほど、そしてこの標識は315mのところにある。目的の高天彦神社は430m以上の標高であるから、ここからは100m以上の高低差がある。この高低差を1kmほどで登りきらねばならない。けっこう、大変な道だ。

道標に従って右に曲がる。

正面に金剛の猛々しい頂が見える。谷間を抜けるように道はますます高度をあげる。坂道を4~500m上って行った先には鬱蒼とした木立が見えてくる。そしてその奥へと続く道がある。

進むことやはり4~500m。急に視界が広がる。金剛山と、今、抜けたばかりの森との間に隠れ里のような集落が見えてくる。静かな、そして穏やかな時間がそこには流れている。いったいどれだけの昔から人々はここにすんでいるのだろう、そんな思いにさせてくれるこの山里が「高天たかま」だ。

「高天」・・・・?

この字面から思い当たる方もおられるだろう。 そう、ここはあの古事記神話の中で語られた多くの天つ神達がの住まい、そして天照大神が治めたまう地、「高天原たかまがはら」なのだ。

もちろんそれは伝承に過ぎない。 いくつもある高天原伝承地の一つである。古事記を素直の読む限り、高天原は天上にあったと理解するしかないが、古来人々はこの高天原を地上のどこかの場所に比定しようと考えた。架空の地である高天原のモデルがこの地上の何処かにあったはずだという思いがそこにある。

そして、ここ高天もその候補地の一つである。「高天」という地名が、そう考えさせる原因ではあるが、この地名は古く万葉集にも見られる地名万葉集巻七1337で、その来歴は極めて古い。

そして、蜻蛉日記の次の二首。

夢ばかり みてしばかりに まどひつゝ あくるぞおそき あまのとざしは

さもこそは かつらぎ山に なれたらめ たゞひとことや かぎりなりける

一首目結句の「あまのとざし」は、高天原にあったという「天岩戸」を想起させる。そしてそれに続く一首に葛城山の一言主が歌われている…とあれば、蜻蛉日記作者及びその時代の人々は、高天原と葛城山のなんらかの関係性を感じていた可能性がある。

さらには「古今和歌集聞書山崎文庫所蔵」を見ればの次のような一節がある。

大和国葛木天間の原あまの岩戸にとち籠り給ふ此間国土調暗なり

ここでは「天岩戸」がこの地にあったと断言されている。この書は弘安年間のものとされているから、少なくとも中古から中世のある時期に至るまで京都のあたりでは、高天原は大和葛木の地…すなわち現在の御所市高天…にあったのだとの認識があったと考えられる。

さて、森を抜けるとすぐあるのは、高天彦神社の駐車場。自動車でもここまでこれるのだ。そして、その駐車場を挟んでさらに参道は続く。

もう幾年過ぎたのか考えるのもおっくうになるほどの齢を過ごした巨大な杉の並木道がそこにある。道はなんの整備もされておらず歩きにくい。50mほどでその境内だ。鳥居の手前に軽自動車の荷台が見えるのはご愛嬌。農道が、参道を横切っているのだ。地元の方々の農作業の便利は優先されなければならない。

小さな古びた社殿がそこにある。何もかもが苔に覆われている。その苔の厚みが、この社の上を通り過ぎた歴史の厚みと一致する。そしてその青々とした苔が、一帯に社を取り巻く鬱蒼とした森ともあいまって、何ともいえぬ清浄な霊気が漂わせている。

その背後には錐形の美しい白雲嶽。

写真では参道の杉木立にさえぎられ全容が見えないが、この秀麗な山がこの社の御神体となる。

そしてこの山にいます神・・・この神社、祭神は高御産巣日たかみむすひ神。古事記の処伝によれば天地開闢のとき高天原に天之御中主あめのみなかぬし神の次に現れた神で、その神名には生産・生成を意味する語「す」と、霊的な人知を超えた不思議な力を意味する語「」の二語が内包されており、あらゆるものの生成にかかわる神として考えられていた。古事記神話の中では天照大神と形影相伴うような形で登場することが多く、至上神である天照大神のもと、神々を集わせ会議を開いたり、命令を発したりする神として描かれている。

そして、何よりもかつてこの一帯に勢力基盤を置いた葛城氏、鴨氏とも関連が深い。今はすっかりとさびてしまっって宮司も配されず、社務所もないこの社ではあるが、当然のことながらその歴史は古く、その神社としての位置づけは高い。神社の来歴などを記す延喜式神名帳にはもっとも格式の高い名神大社として扱われている。

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