妄想の続きの続き…天武天皇吉野を脱出す

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前回、壬申の乱の際の天武天皇の吉野脱出経路についていくつかの可能性について考えてみた。その後、ちょいと時間ができたので本屋さんに行ってみたら2月28日の玉村の源さんのブログで紹介されていた『月間大和路 ならら』2022年3月号があったので早速購入。思った通り、そこにはこの脱出経路についての記述があった。曰く…

大海人皇子は部下に飛鳥まで駅鈴を取りに行かせ、その結果報告を受けた後、すぐに吉野宮を出発します。吉野の伝承が正しいなら、国栖くずから出発したのかもしれません。大海人皇子が出発して最初に着いたのが、津振川つぶりがわ(今の津風呂つぶろ湖畔)。宮滝を出発したなら矢治峠やじとうげを、国栖を出発したなら入野峠を越えたのではないでしょうか。

吉野歴史資料館 中東陽光氏へのインタビューより

『月間大和路 ならら』2022/3  p36

前回私の考えた【1】のルート、矢治峠越えと入野峠越えの二つの可能性が示されている。私の興味を引いたのは、入野峠越えを想定する背景として、「吉野の伝承が正しいなら」と前置きした後、国栖のかかわりが述べられていること。インタビューという形式上、その想定はあまりにあっさりと記述されているが故、予備知識なしに読めば、天武天皇と国栖の関係が今一つ「???」の方もおられるだろうから、私のほうで多分こうなんだろうなというところを勝手に補足しておく

前回での私が天武天皇の吉野からの脱出経路を考えた際には、出家し近江の都を離れた後の天武天皇が吉野で暮らした場所を吉野の宮であるとしか考えていなかった。したがって、そこから出発して、宇陀に抜けるには…と考えた。けれども、天武天皇が吉野にて暮らしていた場所が吉野の宮であるとの記録はない。吉野の宮から出発したとの記録もない。もちろん可能性としては吉野に入った天武天皇が吉野の宮で暮らしていた可能性はそんなに低いものではないとは思う。だからと言って、その脱出劇のスタート地点を吉野の宮であると決めつけるのは、ちょいと早計にすぎるように思う。

さて、吉野の宮からちょいと吉野川を遡ると、その東側の岸辺の断崖にへばりつくように浄見原神社という神社がある。この名を聞いただけでピンとくる人は多いと思う。そう、天武天皇の都と定めた飛鳥浄御原宮の「浄御(見)原」である。そして、その対岸の少し開けた場所が国栖である。これだけでも国栖の地が天武天皇と何らかの関係のある地であるんじゃないか…なんて考えてしまうのは私のあさはかな考えのようにも思えるが、この神社の祭神は天武天皇である。なんでも、土地の伝承では、国栖の人々が挙兵しようとする天武天皇をかくまい、おささえしたというのだ。

この伝承がなにがしかの真実味を持つとするならば、天武天皇が吉野の地から脱出を図ったその出発点は国栖であると想定するのが自然である。となれば、距離的なことを考えた場合、前回述べた吉野川と津風呂川の合流点【2】や、吉野川と竜門川【3】との合流点まで下ってから宇陀へと向かうのは、吉野の宮から出発することを考えた時、少々迂遠すぎるように思える。そして、谷治峠か入野峠かとの判断も、実に簡単にことになる。谷治峠越えのルートはまず考えられないといってよい。それは、ただただ急峻すぎるという理由だけではなく、これもまた遠回りの道になってしまうからである。わざわざ遠回りをしてまで急な坂道を上る…なんてことは、あまりの不自然だ。

まあ、結局のところどっちがどうなんだか分からなくなってきた。少なくとも、【3】のルートはないなとは思いつつ、今日は終わることにする。

といって前回は結びであるが、なんとなく【1】のルートがいいんじゃあないかな…なんて思い始めてきた。

とはいえ、これは天武天皇と国栖の地とのかかわりを語る伝承を信用すれば…という前提付きであろうからそんなに当てにはならない。

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コメント

  1. 玉村の源さん より:

    『ならら』、すぐに入手できたようで、何よりです。さすが地元ですね。
     土地勘がない上に、不勉強で、国栖の位置を漠然と吉野の奥、という風にしか認識していなかったのですが、お陰様で位置がよく分かりました。
     国栖出発ならば、ルートはおのずと決まって来るのですね。
     その神社の創建年代が気になりますね。天武朝とまでは言わないにしても、文武朝くらいまでさかのぼれたら面白いですね。

  2. 三友亭主人 より:

    源さんへ

    私も樟葉もっと奥の方かな…なんて思っていましたが、案外近く(?)にありました。もうちょっとゆくと「イヒカ」なんです。此のあたりは我が家から車で1時間かからないぐらいなんですが、今度吉野の歴史資料館で壬申の乱1350年にかかわって南下するそうなんで、今度行ってみようかと思います。

    その神社の創建年代が気になりますね。
    それがどうもわからないようなんですよ。国栖の人々と天武天皇との関わりは結構気になるんですけどね。