「萬葉の『桜井』」 更新

シェアする

先日、「吉隠」と題した一文を書いた。

吉隠と書いて「よなばり」と読む。奈良の県外にお住いの方は、万葉集にご興味のある方を除けば、なかなか読めない…いわゆる難読地名というやつである...
ここにも書いたように、この一文は表題にある「萬葉の『桜井』」の一つの項目に加えることを前提として書いたものであった。
以降、その公開に向けて少しずつ手を加えて来たものが、やっとできたので、ここに公開することとした。むろん、私のやることであるから少なからぬ瑕疵があることは言うまでもない。したがって今後も気がついたことがあれば、あるいはお読みになられた方からのご指摘があれば、何度も手を入れてゆくつもりである。上のボタン「萬葉の『桜井』」をぜひともポチッとしていただきたい。それが面倒な人は下のブログカードをポチッとしていただけば当該のページにたどり着ける。
吉隠よなばり 雪に寄する(十二首のうちの一首) 吉隠よなばりの 野木に降り覆おほふ 白雪の  いちしろくしも 恋ひむ我かも (十・23...
 

それはそれとして…この「萬葉の『桜井』」にはまだ書かねばならない地名が残っている。

忍坂 倉橋 泊瀬 巻向 三輪

いずれも万葉集を語るには欠かすことのできない重要な地名である。そして、重要であるがゆえ、なかなか手を付けられないでいるのが現状である。

まずは、扱わなければならない歌が多い。口語訳はどこからかお借りしてくることが多いのだが、その口語訳が、自分としてこれで行こうと判断するためにはある程度の調べ入れなければならない。やはり、語句についての正確な情報はできる限り集めたいとは思う。

くわえて、上の五つの地名は…特に後の三つは万葉集を語るうえで重要な地名であるがゆえに、色んな人がいろんなことを言っていて、それをいちいち検討するためには結構手間がかかりそうである。さらには、対象が大きすぎてどこから説明を始めて行けばいいのか検討もつかない。

てなことで、この五つの地名について書くことに躊躇しているのが現状なのだ。

ところが、前回も紹介したように今度の「万葉ウオーキング」はこのうちの忍坂、倉橋、泊瀬を歩く。

その工程とは、

桜井駅北→欽明天皇磯城島金刺宮跡→玉列神社・慈恩寺→春日神社・脇本遺跡(雄略天皇泊瀬朝倉宮推定地)昼食→白山比咩神社→雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地→大和朝倉駅(トイレ休憩)→忍坂山口坐神社→忍坂坐生根神社→舒明天皇押坂内陵・鏡女王忍阪墓・大伴皇女押坂内陵→大和朝倉駅

赤字の部分は泊瀬、青字の部分は忍坂である。倉橋は「倉橋(の)山」、「倉橋川」の形で詠まれていて、どちらも忍坂から見える山川である。倉橋川の方はひょっとしたら近くまでゆかない可能性があるが、倉橋山は忍坂にいる限りどこからでも見えている山である。

ということは、この催しに参加さえすれば結構な情報が手に入ることは確かである。

これはまたとないチャンスである。

とはいえ、時は今、年度末。定年を過ぎた身であるとはいえ、いまだ宮仕えのみである身の私には休日ではあっても、あれこれとしなければならないことが生じてくることが多い。

ぜひとも参加したい…とは思っているけれども、何があるかはわからないのは私の仕事におけるこの時期の常である。

なにもないことを願うのみである。


三友亭雑記をもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

シェアする

フォローする

コメント

  1. Nori より:

    御無沙汰をしております。

    富山に引っ越しましてから5年ほどで元の家まで帰ってまいりました。
    また近畿地区の住民になっております。
    色々な事がありましてブログを訪問するとこができず、断腸の思いでありました。
    まあ粗方私の問題も解決しつつあり、余裕も出来ましたので又こちらを訪問させていただきます。
    今後ともよろしくお付き合いください。

    それとビッグローブがブログサービスを廃止しやがりましたので、下記に引越しをしておりますので、お手すきの時にでもお立ち寄りください。
    https://douraku2nd.seesaa.net/

    • sanpendo より:

      お久しぶりでございます。
      どうされていたかと案じっておりましたが、お元気そうで何よりです。
      私の方はもう60代の半ばに差し掛かり、残り少ない人生以下に生きてゆくべきか、あれこれ思案している次第です。

      今後も何卒よろしくお願いいたします。

三友亭雑記をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む