三友亭という言葉について

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当ブログの名称やその由来については、これまで何度も書いてきたような記憶がある。活かしながらまた同じようなことを書こうとしている。それは、先日のブログ開設の記念日を記事を書いているうちにあれこれとその当初のことを思い出したからである。またか…と思われる方もいらっしゃるかとは思うが、まあ、ちょっと付き合っていただきたい。

このブログは、今でこそ「三友亭雑記」という名の一つのブログとして定着しているが、その始まりは実に二転三転するものであった。

一番最初に立ち上げた際、タイトルをどうするかでかなり頭を悩ませたのだが、その際、真っ先に頭に浮かんだのは「遠山無限」という言葉であった。

この言葉は萬葉学者であり、「萬葉集注釈」でその名を知られる澤瀉久孝おもだかひさたか先生のご著書「萬葉古径」の後に添えられていた解説たしか小島憲之氏が書いたものだと記憶するを読んだ際、深く心に残った一節に由来する。曰く…澤瀉先生は揮毫を頼まれるとよく「訓詁無限」という言葉を書かれていたというが、その言葉は「遠山無限碧層々」という禅語碧厳録?に由来するのだという…

萬葉集の歌々ひとつひとつを誠実に読み解く「訓詁」の道の果てしなさを限りなく続く山々の姿にたとえたものだた私は勝手に解釈しているが、私がその頃勤めていた職場からははるか南に、それこそ「碧層々」と続く吉野山地の山々がよく見えた。

これだ…と私は思った。

しかし、実際にブログを立ち上げ、書こうとすると自分にはどうにも格調が高すぎ、背伸びをしているな…という感が否めなかった。ほどなくして、私はブログの名を白楽天の「北窓三友」とすることに決した。その冒頭を少しだけ引用してみる。

今日北窓下 自問何所爲

欣然得三友 三友者爲誰

琴罷輒挙酒 酒罷輒吟詩

三友㴲相引 循環無已時

今日北窓の下 自ら問ふ何の為す所ぞ

欣然として、三友を得たり 三友は 誰とか為す

みて すなはち酒を擧げ 酒罷みて輙ち詩を吟ず

三友たがひにひ引き 循環めぐりてむ時無し

試みにちょいと訳してみる。

今、私は北向きの窓のもと、今日は何をしてやろうかと考えている。

嬉しいことに私には三人の友がいることに気がついた。その三人の友とは…

私が琴を弾くことをやめるとき、それは盃をあげるときだ。

そして飲み飽きれば、詩を口ずさむ…

この三人はいつまでも私の相手をしてくれる。いつまでも…

あくまでも私の僻読みであるゆえ、書き下しも現代語訳も信用していただいては困る。

白楽天が北側の窓の下に静かに過ごす自身の晩年、心を深く慰めてくれる三つ、すなわち「琴」、「酒」、「詩」を指して「三友」と呼んだことだとわかる。私とて白楽天先生には遥かに及ばずとも、音楽を愛し、酒を嗜み、いささかなりとも文学に関わることを生業とする。

単純に私はこの名を”いただく”ことにした。この”いただく”は言葉のまったき意味においての”いただく”である。

この「北窓三友」という時代のわがブログは、主に古代史や古代文学についてあれこれと調べ、その調査や考察の結果を披瀝するというスタイルをとっていた。萬葉集や古代の文献と向き合う作業はまことに充実したものであったが、その反面、専門的な記述に傾斜するあまり、日々ふと感じる思いや雑感を書き留める余地がなかった。

そこで思い立ったのが、日々の思いを自由に書き綴るための「別のブログ」をもう一つ立ち上げることだった。その新しいブログに最初につけた名が「三友亭日乗」であり、のちに「三友亭雑記」へと改めたものである。

ここで用いた「三友亭」の「三友」は、言うまでもなく本元のブログ名であった「北窓三友」から引き継いだものである。

この時期は、古代史や文学の論考を載せる「北窓三友」と、日々の思いや身の回りのことを書き留める「三友亭雑記(旧・三友亭日乗)」という二つのブログを並行して運営していた。「北窓三友」は週2回、「三友亭雑記」はそれ以外の日という具合にほぼ毎日、何かしら書いていたことになる。思えば元気の良かった時代である。

しかしながら、そんな更新のペースは年令とともに衰え、二つのブログを維持することは難しくなってきた。やがて二つのブログを一つに統合し、現在の「三友亭雑記」に一本化して、今に至っている。

せめて週に1回は更新したいとは思っているのだが…


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