八咫烏に出会った

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先日、職場近くの駅前をふらついていたらこんな御仁にお目にかかった。

宇陀市「記紀・万葉」マスコットキャラクターの「八っぴー」さんである。なんともかわいらしいお姿であるが、そのモデルは…

まずは足もとを見ていただきたい。あまりにも短いのでちょいとわかりにくいが三本ある。くちばしがあって背中には翼を背負っている。どうも鳥のようだ。そんでもって、色が黒いので、どうやらカラスのように思われる。

足が三本のカラスなんているわけないだろう…なんておっしゃる方は私のブログにはおいでになっていないから、すでにおわかりのことかとおもうが、古事記・日本書紀に登場する…あの八咫烏である。神武天皇の大和侵入の際に先導役で大いにその任を果たした有名なカラスさんだ。

日向から大和を目指し、東に進んだ神武天皇の一行は生駒を越えて大和への侵入を試みるが、地元勢力の抵抗にあい、そのルートでの侵入をあきらめる。一行は紀伊半島を大回りして、熊野から再び上陸し大和へと向かう。八咫烏はその際の先導役として活躍している。

高木大神之命以覺白之「天神御子、自此於奧方莫使入幸。荒神甚多。今、自天遣八咫烏、故其八咫烏引道、從其立後應幸行。」故隨其教覺、從其八咫烏之後幸行者、到吉野河之河尻時…

古事記 神武天皇

高皇産霊たかみむすひ神は、雲の上から伊波礼毘古いはれひこ命に向かって、「大空の神のお子よ、ここから奥へはけっしてはいってはいけませんよ。この向こうには荒らくれた神たちがどっさりいます。今これから私が八咫烏をさしくだすから、そのからすの飛んで行く方へついておいでなさい」とおさとしになりました。まもなくおおせのとおり、そのからすがおりて来ました。命はそのからすがつれて行くとおりに、あとについてお進みになりますと、やがて大和の吉野河の河口へお着きになりました。

(現代語は鈴木三重吉の「古事記物語」青空文庫より)

熊野から大和に至る経路は明らかではないが、一行は「吉野河之河尻」から大和に入る。そして「吉野河」を遡り、吉野を抜けて宇陀へと進む。その宇陀と吉野の境にある山が、烏の塒屋山である。

前回は ここまで考えてきて、ちょいと「あれ?」と思うことがあった。今回述べたことと直接かかわることもあるし、そうでないものもある。次回まで...
ところで、上で紹介している現代語訳が少々気になっている。目くじらを立てるほどのこともないのかもしれないが、原文「吉野河之河尻」とあるところを「吉野河の河口」としているのがちょいと気になる。本当はちゃんと調べなければならないことなのだが、実は「吉野河」には「河口」はない当然のことながら大和には河口はない。それにこの川の名は大和を出て紀の国へと入ったとたんに「紀の川」になってしまう。したがって、吉野川が下っていって海に入る辺りは紀の川の河口であっ「吉野河の河口」ではない。

「川尻」という語、ちょいと辞書を引くと、川の下流なんて説明があったり、川の流れが流れていく方というように説明があり、その流れの行き着いた先が海や湖であるので、河口という意味が生じているらしい。鈴木三重吉はこちらの訳語に飛びついたのかもしれないが、地理的に見れば神武天皇の一行は大和における下流域現在の地名で言うと五條市当たりから大和に入り、そこから川をさかのぼり吉野に入り、さらに宇陀に抜けた。ちなみに熊野のあたりから五條に抜ける道筋といえば現在の国道169号線があり、日本で一番長距離の路線バスが走る道として知られている。


そして、宇陀を拠点に大和平野の攻略に取り掛かってゆくのである。熊野以降先導を果たしていた八咫烏は宇陀の地にあって、在郷の旧勢力との交渉役としても活躍する。

宇陀は八咫烏の導きの結果、神武東征の舞台となったのだ。

ちなみに上の動画の続きを下に置いておきます。

「古事記」「日本書紀」「万葉集」と宇陀市 第2回

「古事記」「日本書紀」「万葉集」と宇陀市 第3回

「古事記」「日本書紀」「万葉集」と宇陀市 第4回

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