ふたたび葛城古道ゆく・・・一言主神社

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水越峠への道をよぎれば、一言主神社まではあと10分弱。ここまで山麓線を一時間近く歩いてきたがあと少しである。5分も歩けば、左手に「一言さん」と書いた看板が出てくる。一言主神社は道の左手にあるのだが、ここから左に曲がる道はない。まずはここで道を渡り、逆戻りするようにUターンをして山麓線とはおさらばし、ちょいと下る。するとこれまで歩いてきた山麓線の下を抜けるトンネル道とぶつかる。そのトンネルを抜けて山のほうに向かう。

すると道の両側には結構立派な鳥居と杉並木…その間を抜けてまっすぐ進むとそこに一言主ひとことぬし神社がある。

悪事まがごとも一言、善事よごとも一言、言離ことさかの神

託宣の神として知られる一言主大神を祀る葛木一言主神社である。地元の人々は親しみを込めて「一言さん」と呼んでいる。私がこのお社を訪れた時は、まだ早くはあったが紅葉が美しかった。

中でも有名なのはこれだ。

樹齢1200年は優に超えているという神木の「乳銀杏」だ。幹の周囲3.85m、樹高は25mを誇る。木の下に立つと、その樹勢に圧倒されそうである。まさに…圧巻である。「乳銀杏」の名のいわれは、その太い幹から垂れた気根が乳房のように見えることからきているらしい。また、この御神木には次のような言い伝えが遺されている。

昔、小さな女の子がイチョウの種からこの木を育てました。女の子が娘になるころ、このイチョウの下で、葛城山に修行に来ていた若狭の若いお坊さんと、お互いに惹かれあい、毎日会うようになっていました。ところがある日突然、お坊さんが現れなくなりました。そして娘は赤ちゃんを授かっていました。しかし、赤ちゃんを生み落とすと娘は亡くなりました。娘の母親は赤ちゃんを育てようとしましたが、乳がなく赤ちゃんは日に日に元気がなくなってきました。ある日、赤ちゃんを連れてイチョウの木の下で娘のことを偲んでいると、赤ちゃんがイチョウの木から流れてくる水を飲み始め元気になったということです。赤ちゃんを助けたイチョウは「乳イチョウ」と呼ばれ、赤ちゃんを産んだばかりの人や、お乳の出ない人、果ては、赤ちゃんのできない夫婦までも一言主神社にお参りするようになり、乳イチョウの木をなでながら願うようになったということです。

ようこそ! 神話のふるさと 葛城の道へ(御所市商工会)

この言い伝えがどこに残されているのか私にはわからない。このところで、このイチョウの見事さは実は近くで見ていたのではわからない。むろん垂れ下がった乳房の一つ一つの形を観察するには間近で見るのが1番だ。しかしながらこの古樹の美しさは、そこからだけでは分かりづらい。やはり少々離れて見るのがいい。

ところで…境内に足を踏み入れてすぐに目についてしまう大イチョウにかまけて、大事なこのお社に鎮座なさっている神様についてのお話をするのを忘れていた。次回はそんな話をしてみたいと思う。

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