私がブログを始めた頃 おまけ

シェアする

長々と書き続けてきた、私がブログを初めて間もない頃の振り返りも今日で終わりにしたい。

前回は現在のブログタイトル、我がハンドルネームの根幹をなす「三友」という語の由来について書いてみた。白楽天先生の言うところの「三友」=琴・酒・詩を音楽・酒食い物も含む・文学と読み替えて書いてゆけば、なんとかなるのかなという思いをブログタイトルとしたのだというのがその由来である。

楽天先生のいうところの「三友」の範囲を少々広げてはいるが、まあこのぐらいは楽天先生も許してくださると思う。問題は書いているその中身である。ただしこれは非才の私のなす事…目をつぶっていただかなければしかたがない。

ところで前回、

我がブログは北窓三友と名付けられた。その後、あれこれあって今の三友亭雑記というタイトルにたどり着いたが、そのあれこれのタイトルの謂れについては、ここまでのお話で概ねご理解いただけると思う。

と書いたのだが、前回書いたものをよくよく読み返してみると「概ねご理解いただけると思う」と言いながら、「あれこれの謂れ」について何も書いていないことに気がついた。こいつはちゃんっと説明しないとな…とは思ったのだが…

はっきり言って全部忘れてしまった。

なんとかならないものかとアレコレしているうちに、以前書いた次のような一文を見つけることが出来た。それはブログを始めてまる4年経った5回目の7月24日の記事である。
少々手抜きにはなるが、当該の部分を引用することで、前回の言い忘れの補いとしたい。

「無題」のブログは数カ月続いたのちやっと着いたブログ名が「北窓三友」。畏れ多くもかたじけなくもかの白楽天の詩からその名をいただいた。そこに描かれているところの「三友(詩・酒・琴)」にならって風雅の道に遊ぼうとの意図からである。
けれども、白楽天とは所詮中身が違う。風雅とは程遠い道を行ったり来たりする毎日が続いた。そんなある日、ふとした気まぐれに学生時代学んだ万葉集のとある歌について書いてみた・・・これだと思った・・・

以降、「北窓三友」には万葉集や大和のことに関する記事が次第に増え、しまいには万葉集に関する我が僻見を披歴することがもっぱらとなった。ある意味では独りよがりの・・・そんな記事ばかりが並ぶようになった。しかしそれはそれとして、我がひそかなる慰みごととして続けてゆく意味はないではない・・・そんなふうに思った。
そこで、同じ年にもう一つブログを立ち上げた。「三友亭日記」だ。上の「北窓三友」のように書く中身を固定してしまうと、その日見たこと、思った事がかけない。けれども、どうしても、そのような内容を書きたいときもある・・・かといって、一つの方向に向かって進み始めた「北窓三友」に余計な夾雑物を紛れ込ませたくはなかった。
もう一つブログを立ち上げるしかない・・・そうおもって「三友亭日記」はその歩みを始めた。それにあわせて「北窓三友」からはさらに当初にはあった万葉集以外の大和の歴史に関するような記事を除き、純粋な万葉歌を読むブログとして「虚見津」の名で新たにスタートを切った

そして・・・「三友亭日記」はその内容の雑多さにあわせ、「三友亭雑記」と改め、今に至っている。

引用中にあった「虚見津」は、その後「万葉集僻読」とタイトルを改め、結構な記事を書き綴ったが、今は思うところあって非公開としている。

また、この文を書いた頃、実はもう一つのブログを始めていた。万葉集の編者と目される大伴家持のうた日記とも言える万葉集の巻17以降を題材としてのなりすましブログ「平城人の呟き」である。これも、思うところあって非公開としいる。

シェアする

フォローする