「外山」…「とび」…「とみ」…「跡見」

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「鳥見霊畤の所在について」についての私の考えは…というよりは思いつくことは前回までの通りで、これ以上知恵を絞ったってなにも出てきそうもない。しかしながら、ここまで書き継いできて、「???」となる点がいくつかあった。話の方向がそれてしまうことを恐れ、触れないで来ていたが、本筋の方はこれ以上穿り返しても何も出てきそうもない。

そこで今回以降、幾度かにわたってそのいくつかの「???」について思うところをお示ししたい。勉強不足の私のことゆえ、もうすでにどこかでどなたかが述べておられることがあるかもしれないが、もしそうであるならば、ただただ私の不勉強を笑っていただきたい。

その一つ目、今回の表題。

「外山」…「とび」…「とみ」…「跡見」

なんてわけのわからないことを書いた。前回までの一連の記事にお付き合いいただいた方はおおかたお察しのことかとは思うが…

桜井市外山。鳥見・登見・迹見とも書く。かつては、もう少しその領域は広く、桜井市の鳥見山(245m)の北麓から、その東方の宇陀市榛原の西峠にかけての初瀬川・吉隠川流域の地をさしていたという「角川日本地名大辞典」。しかしながら、金子元臣はその「萬葉集評釈」に

大和宇陀郡榛原の跡見で、西は直ちに吉隱、猪養の岡(又は山とも)に接した、鳥見山下の別莊である。

との考えが示し、「生駒郡の迹見、或は磯城郡の迹見(外山)とする諸説は非」と断じている。吉隱の北にある鳥見山(標高723m)の麓の地とする考えである。

ということを以前書いた。おそらくは、「角川日本地名大辞典」の見解が今日の一般的な見解と言っていいだろう。すなわち、萬葉集でよまれた「跡見(とみ)」は現在の桜井市「外山(とび)」その範囲はもう少し広く考えるのが主流かな?であるとの考えである。

「とみ」が「とび」になってしまうのは我が国の言葉ではよくあること。「さしいーさしい」の類である。同じバ行・マ行の関係でいえば「けりーけり」、「さいーさい」なんてのもある。

どちらが先かはよくわからないが、神武天皇の金色の鳶の逸話からこの地名が出てきたとするならば、「とび」が先でそれが「とみ」に転訛したしたのだろうと考えられる。しかしながら、

 (「と」は「あと」の意) 狩猟の時、鳥獣の通ったあとを見て、そのゆくえ、居場所を考えること。また、その人。
万葉(8C後)六・九二六「やすみしし わご大王は み吉野の 蜻蛉の小野の 野の上(うへ)には 跡見(とみ)(す)ゑ置きて」
精選版 日本国語大辞典「跡見」の項
とか

狩の際に獣の足跡をみて、大小や頭数を判断し、それを追ったり、うかがったりする者をいうことから、そうした者の居る山をいう

國學院大學デジタルミュージアム万葉神事語辞典「とみやま」の項

なんて考えを良しとするならば私はこちらの方に魅力を感じているが、「とみ」という語ががまず先にあって、それが後に「とび」に転訛したとも考えられる。

まあ、その考えの妥当性はともかくとして、私の興味は別のところにある。それは…

「外山」という字面に対しての疑問である。これを、どのような理屈で「とび」と読むのか。言い換えれば、「とび」という地名にどうして「外山」という字面を当てはめたのか、という問題である。

まず、「外山」という字面についてであるが、これは基本的には「とやま」と読み、続く山並みの一番端にあり、平地に接する地形を言う。「富山」県の「富山」も、日本アルプスの北端の山々に接する地として「とやま」と呼ばれていたのが由来だと聞く。

ここで、以前紹介した図をもう一度ご覧いただきたい。

図の右半分は奈良県の笠置から続く奈良県東部の山々が吉野の山々へとつながる辺りで、左半分は大和盆地である。図で見る限りは、連なる山々が、一部だけちょっと途切れ、谷泊瀨と忍坂の谷になっている部分もあるが、全体的に見ればひとつながりの連山であるように見えるだろう。

しかしながら、盆地からのその見え方は違う。明らかに、泊瀨の谷によってそれは区切られ、盆地東部の山々と、吉野から続く南部の山々とが「こもりくのに 泊瀨」小国の門を成すように両脇からすそ野を伸ばしているのだ。

北から南へとそのすそ野を伸ばしているのは言わずと知れた「大和のかんなび」である三輪山。そして南から北へとすそ野を伸ばしているのは「鳥見山」である。二つの山、共にそれぞれの山塊の「外山とやま」の位置にある。だから、今話題にしているこの地域が、「外山」と表記されているにはそれなりに理由がある。

しかしながら、この事実は「外山」を「とび」と読むことの理由にはならない。「外」を「と」とは読めても、そのままではやはり「山」を「び」と読むのはしんどい。これは、「外」と「山」を合わせて「とび」と読むのだと考えるしかない。いわゆる熟字訓…「大」と「和」で「やまと」、「飛」と「鳥」で「あすか」と読む類である。

つまり地形を示す、「外山」という文字面に、それとは関係なく、前からその土地の名としてあった「とび「とみ」」という音がその読みとしてあてがわれた…と考えるのが筋であるように思う。

ならば…なぜこの場所が「とび(とみ)」なのかとの疑問が生じてこようかと思う。その点については上記引用の「精選版日本国語大辞典」や「國學院大學デジタルミュージアム万葉神事語辞典」の説明が的を射たものであると言える。私もその説明にほとんど納得しているのだが、いささか付け加えたいことがなくもない。次回できればお示ししたいと思う蛇足とは思うが・・・

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