万葉集の学び始め 2

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前述のような事情で私は1979年に大和に出てきた。入学後のあれこれの面倒くさいことは済み、4月の半ばの頃には大学の学びが始まった。1年生で必須の国文学国語学科の専門教科は、上代文学・中世文学・近代文学の講読、国文法、そして国語学の概論。他にもいくつかあったかもしれないが記憶はない

もちろん一番のお目当ては上代文学の講読。講義の担当は、奈良大学から非常勤でいらっしゃってた本田義寿先生。テキストは創元社『新校 萬葉集』。

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確か時間割は月曜日の1限目だったように記憶する。だから、私が大学に入って最初に受けた授業がこの講義だ

「万葉集」という書名についてのあれこれに始まり、編者・成立年代・構成などについて、主要な歌人とその作品、作者不明の歌々と、今とは違う一年を通しての講座の中で、実に多くのことをお教えいただいた。まことに懇切、かつ丁寧に穏やかに講義をなさっている先生のお姿は今も思い浮かべることは可能である。お声の調子も、何となく覚えていないではない。この時、お教えいただいた内容が、その後の私の万葉集に対する理解の中核になっていることは言うまでもない。

さあて、月曜日は私が4年間を通じて万葉集を齧り続けた研究会…万葉輪講…が開催される日である。だから、私が大学において初めて万葉集を学び始めたのと、万葉輪講において万葉集を齧り始めたのは同じ日となる。我が母校では一日の講義は4限まで。午後の4時過ぎには終了する。したがって万葉輪講が始まるのは、4時30分。私は朝からその時間が来るのは待っていた。

その日の最後の講義は近代文学の講読。先生はO田先生。我が母校卒の先輩である。

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当時は30歳をちょいとこえたぐらいだったのかな。テキストは近代の短編小説集。その中の一つ一つの作品が、一人、あるいは複数の学生に担当を割り当てられ、その担当が下調べをしてきたものを講義の前半に発表し、その調べについて太田先生があれこれと述べられ、さらに不足を補って下さるという形式。先生のおっしゃる「あれこれ」は常に厳しいものであり続けたが、その経験が大学で学ぶことの厳しさというものを実感させてくれたことは間違いない。

もちろん、そんな厳しさは最初の講義ではお隠しになっておられ、最初の印象は優しい、ちょっと年の離れたお兄さんという感じであった。そしてその最初の講義では、以降の講義の担当決めをちょいと行った後、すぐに私たちは先生とともに教室を出た。大学のちょいと南にある西乗鞍山古墳に向かったのである。

この前方後円墳の後円部の頂上からは奈良の盆地の南半分が見渡せた。気が付くと白いトレパンに素足で雪駄を履いたおじいさんがいる。おじいさんは太田先生と親し気に話をしているのだが、我々学生は「誰や、このおっさん?」という感じであった。しばらくして「おじいさん」は、そこから見える景観について話し始める。1932年に実施された陸軍の演習にあっては、この場所で昭和天皇がその様子を見守っていたとか、あの山がどうたら、こうたらとか…

・・・このじいさん、なぜこんな詳しいんだ…と疑問に思いつつ、講義の終了時間が到来した。その場で講義は終了。私は万葉輪講に参加するべく、国文学国語学科の研究室のある棟にある、こぢんまりとした演習室に向かった。先輩方はもうお集まりになって、新しく入った私たちを歓迎してくださった。新しく入ったメンバーは5人。私達の学年は36名位ほどの入学であったから、そのうちの5人というのは結構な比率である。今、大阪の大学で教鞭をとられているS君もその5人のうちの一人である。

そして…時間が来た。担当してくださっていたH先生がいらっしゃる時間である。扉が開いて入ってきたのは、なんとさっきのじいさんである。じいさんはH先生の座るはずの席について、おもむろ私たち1年生に向かって言った。

「私が…Hです。」と…

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コメント

  1. 玉村の源さん より:

    びっくりですね。
    水戸黄門のような、遠山の金さんのような、それが現実になったような思いがしたことでしょう。
    ご本人は別に世を忍ぶ仮の姿というつもりは全くなかったのでしょうね。

    • 三友亭主人 より:

      源さんへ

      >別に世を忍ぶ仮の姿と・・・
      国語国文学科の研究室のすぐ横にはテニスコートがあって、そこで早朝テニス会なるものが毎朝行われていまして、H先生はそのお世話をなさっていました。その関係で毎日朝からテニスをなさっていましたからねえ・・・・

      でも、その時はびっくりしました。