2026年 萬葉学会一日旅行 2

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吉野口の駅を出て十分程で正福寺に到着。あまりお広くはないが、落ち着いた風情の境内である。

ここで巨勢こせ寺のあれこれを案内役のK先生からいただく……はずであったが、見学の許可を取りに行ったK先生から、ここでの説明はこの寺のご住職が買って出てくださったとのこと。思いがけない展開に期待が膨らむなか、ご住職のお話が始まった。

まずは寺の縁起から。

まずは寺の縁起からである。 都が京都へ移ると巨勢寺の衰退が始まり、かつての大寺院も二つの寺内房(子院)を残すのみとなった。それが、この後訪れる予定の阿吽あうん寺と、この正福寺である。正福寺は古くは巨勢寺内の「北の坊・勝福寺」と呼ばれていた。もともとは密教修行の霊場であったが、本寺である巨勢寺の衰退は勝福寺にも及び、ついには無住の時代が続いたという。

そこに訪れたのが、京都常楽寺の始祖である覚上かくじょう上人であった。巨勢氏の子孫たちは上人に化導され、この勝福寺を浄土真宗本願寺派(西本願寺)に属せしめた。その際に寺号を改め、現在の「冬野山正福寺」としたのだそうだ。

その後、話は巨勢寺の発掘調査へと及ぶ。詳細については物覚えの悪い私のこと、深入りするとみなさんに誤った情報を伝えかねないので省略するが、ただ、その調査の際にいくつもの礎石が出土し、それがこの正福寺の境内にいくつも見られるというお話だけはお伝えしておく。

この本堂を支える礎石も、庭に散在する、

これらの石も、千数百年前は巨勢寺の堂宇を支えていた礎石たちである。

さて、私達は住職さんへの感謝の念を胸に正福寺を後にした。続いて向かうのは巨勢寺塔跡である。正福寺を跡にして10分も立たないうちにその全景が見えてきた。

緑のなかにぽつんと佇むその空間は、遠くから見てもどこか特別な空気を纏っている。いよいよ敷地内へと足を踏み入れ、真ん中にぽっかりと穴のあいた巨大な「心礎」の前に立つ。

案内のK先生の解説が始まった…まさにその時、蜀魂ほととぎすが鳴いた。その声の聞こえ方はそれぞれの出身によって変わると聞く。「テッペンカケタカ」や「トッキョキョカキョク」などはよく聞く例であるが、宮城で育った私の耳には、「ホトサケタカ」とはっきり聞こえた。あまり遠くはない場所で鳴いたのであろう。誰の耳にも聞こえるような大きな声である。2度3度とその声は繰り返された。繰り返す度にその声は小さくなっていたように思う。

あまり大きな声では言えないが、この宮城における、「ホトサケタカ」という聞こえは、漢字を当てると放送コードに引っかかるような言葉になってしまう。「サケタカ」は「裂けたか?」であることは多くの方が簡単にお気づきであろう。

問題は、「ホト」である。これは簡単に漢字に直せない。

よってここは読者の皆様のご想像におまかせすることにする。


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