第9回万葉ウオーキング…その6

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桜井市黒崎にある白山比咩しろやまひめ神社をあとにした私達が目指したのは忍坂の地。いただいた資料には、

桜井市忍坂。「おしさか」「おさか」ともいう。寺川支流粟原川中流域に位置する。宇陀ケ辻から粟原にかけての地域で初瀬街道と女寄峠を通って大宇陀へ向かう松山街道との分岐点にもあたり…とある。

読み方に関しては…地元では普通、「おっさか」といっている。日本国語大辞典では、「奈良県桜井市忍阪おっさかの古名。」としており、他いくつかの辞典・事典でも、「おっさか」と記してあることを見ると…現在は、「おっさか」とよむのが普通であり、「おさか」、「おしさか」はその古名であると理解するべきなのだろうか。

しかしながら、我が国最古の金石文として知られている隅田八幡神社人物画像鏡に、「意柴沙加おしさか宮」とあるからは、「おしさか」というのがそもそもの形なのだろうと思う。以下は拙い私見であるが、「osisaka」の「sis」…s音に挟まれたi音が脱落し、「おっさか…ossaka」と発音するようになったところを、撥音を表記せずに書いたのが「おさか」なのだろうと思っている。

忍坂邑の名は古く《日本書紀》神武即位前紀,垂仁紀にみえ,最古の金石文の一つであるれ隅田八幡人物画像鏡の銘文に〈意柴沙加宮)〉の名が認めらる。允恭天皇の后妃,忍坂大中姫や敏達天皇の皇子,押坂彦人大兄皇子は忍坂に宮を営んだともいわれ,皇子の妃,糠手姫皇女や子の舒明天皇の陵墓もこの地に置かれたという。《和名抄》では忍坂郷として城上郡に属し,中世には忍坂庄も認められる。元禄郷帳には恩坂村とあり,現在の桜井市大字忍阪の地にあたる。

とは、「改定新版 世界大百科事典」の説明である。

私達は国道165号線をわたり南に下る。これまでいた泊瀬から忍坂にゆくには一山越えなければならない。その山の南斜面から粟原川までの間の地が忍坂だからだ。

途中、近鉄朝倉の駅に立ち寄る。トイレ休憩だ。結構な坂を登ってきたので少々長めの休憩だ。そしてここから見えたのが…

こんな三輪山である。色んな角度から三輪山を見ている私ではあるが、この角度からは初めてである。

見慣れない三輪山が…そこにあった。


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