萬葉学会に行く

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私の住む家は、大和平野の東の端っこ、三輪山の麓にあるのだが、先週の週末はゆえあってその西の端っこである三郷町まで行ってきた。「ゆえあって」などと特に隠すほどでもない。私の所属する萬葉学会全国大会が、ここ奈良、三郷町にて開催されたのである。

本当ならば、コロナが流行し始めたその年三年ほど前になるのかに行われるはずだったのがのびのびになっていたのだ。例年は学会の主催の1日旅行ぐらいにしか行っていないのだが、全国大会が奈良の地であるとなれば行かずにはおれない。普段の勉強不足から、鈍りに鈍った我が脳みそに、少しでも刺激が与えられればと思って参加してみた。

詳細は玉村の源さんの報告を読んでいただいたほうが良いのだが、ここは私の方からも簡単に…

1日目は恒例の講演会。講演者は武庫川女子大の影山先生と高岡市万葉歴史館館長坂本信幸である。お二人は、万葉学会の1日旅行や万葉ウオーキングでお世話になっている方である。そして、お二人ともに軽妙な枕坂本先生はやや重めかな。沢瀉久孝先生のお話だったから、私のようなものでもよく分かるやさしい語り口でしかしながら言っていることは結構高度たっぷりとお話くださった。まことに楽しい時間が、あっという間に過ぎ去った。

そして、萬葉学会奨励賞の発表と授賞式。お二人の受賞者のうちお一方は玉村の源さんのお弟子さん。源さんのお喜びも一入のことかと思う。

そして総会。これは、学会員のみなさんがかくも多数集まるこんな日にでもなければ開催できない。

かくして一日目は終了。

そして二日目は、若手を中心とした研究者の方々の研究発表。多岐にわたる発表のうちには私の守備範囲とは異なるものも多くついて行くのがやっとであったむろん守備範囲にあると思われる発表だからといって私がついていけたかは疑わしいが、久々にアカデミックな空気に触れ、十分に刺激を受けることができた。

まことに充実した二日間であったと言える。そうそう、上でも紹介したが、この大会には玉村の源さんもおいでになっていた。3年前だったか、明日香にある万葉文化館での催しでお会いしてからのことである。久闊を叙することしばし…楽しいひと時であった。

次に会えるのはいつかとは思いながら、「なあに奈良好きの源さんのことだから、またなんかあればやってくるさ」と思いながら、王寺の駅でお見送りした。

…と、報告はここまで。

ここからはちょいと話題を変える。

まず、下の地図を見てほしい。

1982年7月31日から8月3日にかけてのことである。上の記事の写真は三郷町とは大和川を挟んで対岸に位置する王寺町の様子である。三郷町も状況は大差はなかったそうである。

この写真は奈良の災害について記録した

こちらから頂いたものであるが、その被害の詳細をお知りになりたければ、ぜひともご覧いただきたい上の写真は第3章4にある「奈良の災害史9

ともあれ、大和の盆地から水が抜けてゆく場所は、この大和川のみ。しかも、この下流は両岸を結構な高さの山に挟まれた、狭隘な谷間。少しでも雨が降れば…王寺町・三郷町三郷町のほうがやや高いところがおおいかな?方々が心配になってくる気持ちは容易に想像できる。

…だから…

………おっと、これは来週に取っておこう………

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コメント

  1. 玉村の源さん より:

     学会から早くも1週間ですね。
     久しぶりにお目にかかれて大変に嬉しゅうございました。
     また、帰りには王寺の駅まで送って頂き、本当にありがとうございました。厚かましいお願いをしてしまいました。
     萬葉学会が奈良県で開催されるのは天理大学以来でしたでしょうか。
     奈良大学に行ったことがありましたが、あれは萬葉学会だったか他の学会だったか。
     「萬葉」学会なのですから、会場はちょくちょく奈良県でも良いですよね。

     あのあたりの大和川は、三郷町と王寺町との境を流れているのですね。たくさんの水を集めているにしては川幅が狭いと思いました。普段は問題なくても、大雨が降るとあふれてしまうのですね。
     大和川は下流で利用しているのかもしれませんが、大阪府とケンカになっても、「大和川止めるで」とは言えないのですね。(^_^)

  2. 三友亭主人 より:

    >「大和川止めるで」とは言えないのですね。
    そんなことをすれば大和は湖になってしまいます(笑)
    このあたりについては次回ちょいとお話できればいいなあと思っています。

    >」萬葉学会が奈良県で開催されるのは
    まずは天理大学での萬葉学会があって、数年経っての奈良大学だったと記憶しています。
    奈良大のときには軽部さんもいらっしゃっていたのかなと思います。