安倍文殊院に行く

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久しぶりに安倍文殊院に行った。同じ市内に住んでいるからと言って、日常の散歩コースになっている大神神社とは違い、そうしばしば訪れられるわけではない。今回の参拝は前回に足を運んでから5年は経っていると思う。

前回も色々と書いたので、すでに書いてあることはそちらの記事に頼るとして

先日、ちょいと思い立って安倍文殊院というお寺を訪ねた。我が町、桜井市安倍にある華厳宗の寺院である。むろんご本尊…
今回はそのときには話していないことを書くことにする。

…と言いつつも、前回どんなことを書いたか忘れてしまったので、上のリンクをちょいとクリックして、読んでみた。あいも変わらずの悪文には目をつぶり、読み進めてゆくと、この文殊院の御本尊の紹介に始まって、境内内にある

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 御蓋みかさの山に 出でし月かも

安倍仲麻呂 古今和歌集・古今406(百人一首)

の歌碑の紹介、そこからこの歌にまつわるあれこれに終止していたようである。おっと、忘れてはならない。先日奈良でお亡くなりになった元宰相の献納になるところの世界平和を願う石灯籠があったこと、それにコメントで中川@やたナビに上の歌碑の文字が榊莫山先生の筆によるものであることを教えていただいたことも申し添えておく。

てなかんじで振り返ってみると、どうも境内の西半分に話題が集中していたようである。ということは、残りの東半分からお話してゆけば…ということになる。

そこでまずはじめに境内の東端にあるこのお社から。

白山堂である。なんでもこのお社は室町時代の建立で、国の重要文化財にも指定されているそうだ。祭神は白山神社であるから必然的に白山しらやま比咩ひめ神、すなわち我が国最初の夫婦げんかたる伊弉諾いざなき伊弉冉いざなみ二神のいざこざを仲裁したことで知られる菊理媛くくりひめで、当山の鎮守だということだ。ここになぜ白山神社があるのかというと、

白山信仰と陰陽道は古くより深く結びついた為、安倍晴明ゆかりの当山に白山神社の末社が勧請されました。

と、お社の横の説明板には書いてある。へえ〜白山信仰と陰陽道は関わりが深いのか…不勉強ながらあんまり聞いたことがないなとか、そういえば随分前によく読んでいた、

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の何巻目だったかに、長く都に祟りをなしてきた菅公が最終的に菊理媛に抱かれるようにして鎮まってゆく姿が描かれているのを見たような記憶があるな、とかつらつらと考えながら、これもまただいぶ前に金沢からの帰りに見た、真っ白に雪に覆われた白山の神々しいばかりの山容を思い出していた。

ところで、いきなり陰陽師安倍晴明を主人公とした劇画を紹介されて、なぜここで安倍晴明が出てくるのか…なんて疑問を抱かれた方も少なくはないと思うのだが、安倍晴明もまた安倍仲麻呂と同じく安倍氏の流れである。

安倍氏は古くは「阿部」氏。現在の桜井市安倍の地を本貫としていた。平安時代になって「安倍」と改めたらしい。安倍仲麻呂が「阿部」仲麻呂と書かれることが多いのはそのためだというよりそっちが正当である。ただし本文では全体の統一性を考えて「安倍」仲麻呂と記した。安倍氏は孝元天皇の皇子大彦命を祖先とし、飛鳥時代から奈良時代に大臣級の高官を輩出安倍御主人みうしなどしているが、藤原氏の台頭により次第に隅っこの方に追いやられた感が強い。清明は正しくその流れに位置する人物。仲麻呂はその流れからは途中で枝分かれした安倍比羅夫ひらふの流れ。この流れは比羅夫が東国と関係が強かったせいか、後の奥州安倍氏へと繋がっていったと言われている。先日亡くなった元宰相はこの流れではないかとの話を聞いたことがあるが、上に少し書いた石灯籠はそのような繋がりによるものであろう。そして、安倍氏の本貫地にその氏寺として645年あの年だね、孝徳天皇の勅願により、ときの左大臣安倍倉梯麻呂くらはしまろが安倍寺を建立したのがこの文殊院の始まりだという。

ちょいと回り道をしたが、この安倍文殊院と安倍氏、就中、安倍晴明との関わりをぼんやりとでも思い描いていただけただろうか?

そんなこともあってか、この白山堂のすぐ右手には小高い丘があり、そこで安倍晴明が天文観測をしたという伝えがこの寺には残っているそうである。その伝えに基づいて、この丘には清明が祀られている。

清明堂である。そんでもってこれが、この寺に伝わる伝えを記念した石碑。

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