行ったことのあるところ・・・栃木

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久しぶりの思い出話である。前回の「行ったことのあるところ」は茨城で終わっていたので、今回は栃木。

私が栃木に行ったのは、2度のみ。1回目は中学校での修学旅行。そして、2回目は仕事で若いお客さん達とのおつきあいである。どちらもかなり以前のことになるが、以下順を追って思い出せるだけ思い出してみたいと思う。

まずは一度目の中学校での修学旅行。訪れたのは、日光・華厳の滝・鬼怒川温泉とお決まりのコースである。

それは中学の3年の春。4月半ばの頃だったと思う。一日目の宿泊は鬼怒川温泉。だから、一日目と二日目の午前中はこの周辺、すなわち日光華厳の滝の見学ということになる。二日目は東京宿泊。国会の見学やら皇居の見学、後楽園遊園地あたりも毎年のお決まりであったようだ。

ただ例年との違いは…以下の事実によってもたらされた。

1972年11月13日 : 岩槻IC – 宇都宮IC間開通。
1973年  8月  9日 : 宇都宮IC – 矢板IC間開通。
11月26日 : 白河IC – 郡山IC間開通。
11月27日 : 白石IC – 仙台南IC間開通。
1974年 12月20日 : 矢板IC – 白河IC間開通。
1975年   4月  1日 : 郡山IC – 白石IC間開通

いわゆる東北自動車道の開通である。例年は宇都宮あたりまで列車に乗って移動していたのだが…当時はまだこのような大規模な公共事業がさもこの国の将来を築き上げて行き、我々に幸福な未来を約束してくれるかのような甘美な幻想が信じ込まれていた時代であっただけに、先生方もその最先端の高速道路を私達に見せてあげたいと思われたのか(きっと先生方も見たかったのだと思う)、この年の修学旅行は全行程バスによる移動であった。

出発予定は6時30分。結構早かったが、その日の行程を考えれば止むを得まい。むろん集合はそれよりもかなり早い時間になる。遅刻者が出た時でも出発時間をずらさずに済ませるためである。こんな日に遅刻するものなどいない。大方が出発の30分前にはバスに乗り込んでいた。けれども…バスは定められた時間に発車することはなかった。30分程遅れて、7時ごろにバスは校門を出た。

原因は霧。その朝はまことに濃い霧が海沿いの町にはかかっていた。私が学校についたのは6時ちょいと過ぎ。4月も半ばのこととて充分に明るい時間である。けれども、校門を入った時、少しの間この校庭に停まっているはずのバスの2台のバスがどこにあるのかわからずに少し戸惑ったぐらいである。

ともあれバスは45号を南西に進む。そしてしかとは記憶に残ってはいないが、仙台南のインターより東北自動車道に入る。途中の道筋においての記憶はほとんどない。そしてバスは宇都宮に着く。宇都宮インターで降りて、そこから日光の方に進んだ。

ここからは若干の記憶があって、日光街道の杉並木なんてのは結構記憶が鮮明である。
日光杉並木街道 20130522 - panoramio
そして日光。順番は定かではいが、見学したのは東照宮と華厳の滝の2か所。

東照宮では、6~7人の小グループに1人のガイドのおじいさんがついて、その説明を聞きながら境内を歩き回る。中学生が、こんな仏閣に興味あるはずもなく真剣に話を聞くこともなあったから、その時の話は何にも覚えていない(今となっては惜しいことをしたと思っている)。ただ、陽明門の三猿や
三猿 - panoramio

左甚五郎の
眠り猫

は前々から知っていたので、ちょいと楽しみにしていたのだが、眠り猫に至ってはあまりの小ささに「な~んだ、こんなのか~」なんて、心ある方がお聞きになったならばお嘆きになるような言葉が口から洩れる。

それに引き換え…華厳の滝は大迫力だった。四月も半ばだというのに滝つぼの少々上方の岩場には雪が残り、その周辺に野生の猿が遊ぶ。そしてその中央を抜けるように轟音を立てて滝は首位直に滝つぼへと注ぐ。海辺の平たい地面の上ばかりしか知らぬ中学生たちは、垂直方向に延びるその自然の造形に肝を抜かれる思いがしたものだ。

そしていよいよその日のお宿、着いたのはもう暗くなった時刻…いや、わずかばかりの明るさが残っていたかな?あとはもうお伝えすることは何もない。皆さんがご経験なさった中学校での修学旅行でのお宿の光景を思い浮かべればいい。大した違いはないはずだ。

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コメント

  1. 薄氷堂 より:

     日光といえば、高校の修学旅行でしたね。当時の修学旅行は、夜行列車の硬い座席で一泊するなど、まことに恐ろしい強行軍でした。それで日光、東京、京都、奈良まで行くんですからねえ。

     旅館といえばどこも食事がひどかったですね。よくも人間様にこんなものを食わせるものだと思った記憶があります。今ならインターネットを通じてたちまち日本中に悪評が広がるところですけど、当時はひどい目にあっても文句をいわぬのが美徳とされていましたから、みんなじっと耐えていたという……古きよき時代(かどうかは大いに疑問ですが)でしたよ。

    • 三友亭主人 より:

      薄氷堂さんへ

      >日光、東京、京都、奈良

      これはこれは強行軍ですね。それに交通事情も今とはだいぶ違いますからねえ。
      釧路から青函連絡船に乗るまででも大変そうなのに、そこから東京・京都・奈良とは・・・

      お宿の方は・・・電車賃でだいぶ行っちゃってますから、かなり節約せざるを得なかったんでしょう。
      そうまでして先生方は生徒たちに日本のあっちこっちを見せてあげたかったんでしょうね。

  2. 只野乙山 より:

    gatayanさん、こんにちは。
    中学校の修学旅行が関東でした。
    新幹線で移動、1日目の夜は後楽園球場で野球観戦で、
    2日目の午前中は浅草を歩き、
    午後から日光東照宮、そして華厳の滝に行きました。
    関東の生徒さんが奈良に来るように、
    絵に描いたようなコースでしたね。

    • 三友亭主人 より:

      只野さんへ

      >関東の生徒さんが

      東北の方も結構奈良京都にはいきますね。
      私達は鎌倉でしたけどね。
      日光あたりは中が売せいにはつまらないコースではありましたが、行きたいなあと思う今になって、もうちょっと真面目に見ておけばよかったと思っています。