2026年 萬葉学会一日旅行 1

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5月9日の9時すぎ、私はコンビニで買ったおにぎり2個を持って、JR三輪の駅から電車に乗った。目的地は吉野口の駅。この駅は近鉄でもJRでもどちらでも行ける駅なのだが、私にはJRが都合が良い。

途中、大和高田の駅で乗り換え、吉野口の駅で降りたのが10時少し過ぎ。集合時間は10時20分である。ちょいと中途半端な時間ではあるが、この駅の電車の到着時刻に合わせてのことであろう。

JRでここまでやって来た人はそう多くはなかったのだろう。一緒に降りたのはほんの数人。そのなかには萬葉学会の代表でいらっしゃるT先生もおられた。少しは顔も知ってもらっているので目でちょいと挨拶を交わす。駅にも数人この催しで顔を知ってもらえた先生方がすでにおられ、こちらも軽く挨拶を交わす。

近鉄の電車が到着しぞろぞろと降りてきた参加者は数十人。総勢で40名を超す人数となった。

定めの時間がやって来ていよいよ会の始まりである。まずはさきほどのT先生からの代表のご挨拶をいただく。続いて本日の案内役のK先生より日程及び工程のご説明をいただく。いつもなら早速出発となるのだが、本日の行程は途中でコンビニ、トイレなど全くない場所なのでまずここで用を済ませておいてほしいということで10分ほどの休憩。

そして出発である。最初に目指すのは巨勢こせ寺跡である。巨勢寺はかつてこのあたりを本拠とした巨勢氏の氏寺。日本書紀には朱鳥あけみとり元年(686)8月23日に、「巨勢寺に二百戸をよさす」とある。これは天武天皇の病の際にその平癒を願って各寺の行った寄進の一環であるが、同月21日を見ると、「檜隈寺 軽寺 大窪寺に各百戸封す」とあり、この巨勢寺が他寺院の倍ほどの寄進を受けていることがわかる。

以ってその寺としての繁栄を知るべしであるが、1987年の道路工事の際の発掘調査で判明したこの寺の寺域、伽藍配置は、東西約100m、南北約200mという壮大なもので、伽藍は東向き、北に金堂を置き、その南に塔、西側には講堂が配置されてあったらしい。そしてそれらを囲む回廊は北で金堂・塔を囲み講堂に取り付く形式であったと推定される。

その向きが南向きか東向きかの違いはあるが、いわゆる法隆寺式伽藍配置というやつである。その講堂は基壇の長さと幅は22.7m・13.9mで礎石の配置から推定される建造物の規模は19.6m・9.6mという。また回廊の東側南へ築地塀が続き、その100m行ったところに平安時代の梵鐘鋳造遺構、講堂の背後の丘陵からは瓦を焼いていたと見られる遺構も見つかっている。

となると、相当立派な寺院がかつてこの地にあったことが推定されるがどうやら平安前期には衰退の道を辿ったらしい。よって今回目指すのはそれらの面影を偲ぶよすがのみということになる。

ということで今回最初に向かったのは、その礎石が残っているという、そして巨勢子院として今も残る正福寺という真宗のお寺である。


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