かなり久しぶりに、10年ほど前まで勤めていた都祁の職場に行った。
都祁というのは奈良県の東部山間の、標高500mほどの高地にある土地である。かつては山辺郡都祁村であったが、平成の大合併により今は奈良市の一部となっている。私が今勤めている榛原のある宇陀市や、私の住む桜井市とは隣接した位置にある。そんなところで10年ほど前まで、私は働いていた。
さて、そんなところに今日なぜ出かけたのかということになるが、私はその場所で5年間ほど若い人たちのお世話をする仕事をしていた。その若い人たちが都祁を旅立って、今年が10年目に当たるというので、ここで一つ集まろうかということになり、その頃私たちのチーフとして引っ張ってくれていた方が音頭を取ってくれたのである。
集合の時間が10時ということで、私は9時過ぎに家を出た。旧職場についたのは10時少し前。音頭を取ってくれた旧チーフが待っていた。
すでに4、5人の若い人(もう立派な成人だが)がやって来ていた。あとからあとからみんな集まってくる。集まった人数は30人弱というところか。私たちがその頃世話をしていた若い人たちは90名ほどであったから、ざっと3分の1である。
奈良を離れた人もいれば、年齢的に子育て真っ最中という人もいるのだから、まずは上出来ではないかと思う。そして、その頃一緒になって彼らのお世話をしていた仲間も4名ほど。更には、その頃からずっとその職場に残っている仲間も幾人かいた。
みんな懐かしい顔である。
ところが、一緒になって働いていた仲間は流石に忘れていなかったが、集まってきていた旧若い人たちの名前がなかなか出てこない。本当に困ったことだが、ある頃から一人の名前を覚えると、別の誰かの名前が何処かに行ってしまうのだ。多くの場合、その顔も、その行状もしっかり覚えているのだが、名前がなかなか出てこない。
向こうは結構しっかり覚えてくれていて気軽に声をかけてくれるのだが、その名前がなかなか出てこない。忘れてしまったと言っては失礼に当たるだろうから、顔が思い出せないことを気づかれないように応対しながら、その名前を必死に思い出す。
そうこうしているうちに、やっとのことで名前を思い出す。
してみると、全く忘れてしまったのではない、記憶は確かにあるのだが、新たに覚えた人の名前がその上に覆いかぶさって出てきづらくなっていることに気づく。記憶とはそういうものなのだろう。
すべての参加予定者がそろうのを待って、旧チーフが全体に挨拶をし、続いて、世話をしていた私たちが順に一言ずつ、この再会の喜びについて語った。
集まった旧若い人たちは温かい拍手をくれた。
そして最後はそろっての記念写真。その後は、今日旧職場であった催しをそれぞれに楽しんでいたのだろう。
「…だろう」といったのは、私がその後すぐその場から離れ、帰途についたからである。最後まで今日の催事を楽しみたかったとは思うのだが、所要があって最後までご一緒するというわけにはいかなかった。
残念至極ではあった。
とはいえ、集まってきた中に、私とペアーを組んで3年間をともにした仲間に会えたのはとても嬉しいことであった。その「仲間」は、大学を出てすぐに私と同時にこの職場についた、「薩摩おごじょ」であった。
この職場で働き始めて2年目からの3年間、彼女とペアを組み、今日集まった旧若い人の一つのグループのお世話を続けた。苦労をともにした仲である。まあ、その苦労に立ち向かったのは彼女がほとんどであって、私はほんの少しそのお手伝いをしたに過ぎないのだが。
彼女とももう少しゆっくり話をしたいなあとは思ったが、それは致し方ない。「またいずれ…」と言葉をかわし、その言葉が実現することを願いつつ、私は都祁を離れた。
下に示すのは私が都祁にいた頃書いた文章である。合わせてご覧いただければ幸いである。
ほんの2時間ほどのことであったが、こんな事があるからこの仕事はやっていける…そんなふうに思えるひとときであった。
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