第9回万葉ウオーキング…その7

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万葉ウオーキングがあった日からもう40日近く経っている。記憶も定かではなくなっているし、そろそろこの日についてのレポートは早々に終わらなければならない。ということで今日はは大忙し。2箇所の訪問地をまとめてレポートすることにする。

大和朝倉の駅での小休止を済ませ私達が向かったのは、駅からほど近い忍阪古墳群…ではあるがここはサラッと以下の一文を紹介するにとどめ、進んで次の目的地である忍坂山口坐神社に向かう。

「大和の古墳チャンネル」より引用 外鎌山の西にのびる
歩くこと15分。次のような巨樹が見えてくる。

もう少し近くによって、比較対象としてこの日の参加者のお姿をちょいと借りる。

堂々たる巨樹である。何でも鹿苑寺金閣、すなわち金閣寺を造立した際に、かつてこの地に生えていた楠を供出したらしく、いま眼前にあるこの木はその二代目であるということだ。もし一代目を切り出してすぐに植えられていたと考えるならば、その樹齢は600年を越えることになる。

初代のこの楠は、金閣の天井板としてわざわざ大和の地から選ばれたというからには、それは京の都にも知れ渡るような巨木であったと思われる。なんでも、京の都へと運ぶ際、途中の天理市柳本まで運んだとき、そのあまりの重さのため橋を渡れず、急遽そこで製材し、その残材で橋をかけ渡したのだという。

話を御社の方に戻そう。この神社は拝殿のみで神殿はない。なんでもその背後にある神木である杉の木を拝するのだという。大和の国内には飛鳥・石寸・忍坂・長谷・畝火・耳無の山口神社が損するが、ここはそのうちの1社である。

続いて向かったのは、外鎌山(忍坂山)の西麓の忍坂坐生根おっさかにいますいくね神社。忍阪の地の氏神として厚い信仰に支えられいるのだという。

「三輪流神道探秘抄」という書物に「忍坂宮イクネ大明神、イズレモ三輪ノ大明神ノ御子神トイエリ」とあり、大神神社とのつながりも簡単に類推することができるが、祭神が少彦名命である以上、宜なるかなである。

なお、この御社の入口…おそらく鳥居…に下げられているものが珍しかったのでちょいと紹介させてもらう。


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