年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
多くの方が何処かで耳にしているかと思う。唐代の詩人、劉希夷の「代悲白頭翁」である。上の一節のみが詩の全体の趣旨とは切り離されて、不変の自然と限りある人の命というものを描くものとしてよく使われているように思う。
いきなりこんな一節を持ってきたのはこの花が今年もまた住む人をなくした隣の家の玄関の前の路地に咲き始めたからだ。
黄色い彼岸花…とも言えそうだが、ショウキズイセンと呼ぶ花だそうだ。漢字に直せば鍾馗水仙。鍾馗様の、長いひげや冠をつけたような姿に似ていることからその名前がついたのだそうだ。正確には思い出せないが、たしか隣の家のご主人がお植えになったものと記憶する。
ところで、上に「住む人をなくした」と書いたが、その隣の家には以前夫婦とその娘の3人の家族が住んでいた。少し体の弱かった奥さんをご主人は非常に大切になさっていた。娘さんはそんな両親をとても好きであったようだ。
夫婦は私よりも少し年上であったと思うが、まだまだ早いと思われる年齢でふたりとも亡くなってしまった。確か…奥さんのほうが少し先であったかと記憶する。それから暫くの間は娘さんが一人で暮らしていたが、10年ほど前もうちょっと前だったかな?、素敵なお相手を見つけてどこかへ引っ越していかれた。
朝や夕方仕事帰りに顔を見れば挨拶をする、回覧板を回し合ったりするというのが普段のお付き合いだった。隣組で何かしらの行事があればいくらかの言葉を交わすこともあったが、そんなに深いお付き合いをしていたわけではなかった。だからこの家族が隣に暮らすことが亡くなったと入っても我が家の暮らしになにか影響をもたらすということはない。
けれども毎年この時期、この花が人のいない隣家の玄関先に咲くと、あの慎ましやかな隣人たちの姿が思い出されるのだ。
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