先月の終わりに第11回「万葉ウォーキングクラブ」(万葉を歩く会)の日程が発表された。ブログの更新を怠っているうちに皆さんにお知らせするのが今日になってしまった。
フェイスブック上に示された。示された案内は以下の通りである。
「万葉ウォーキングクラブ」(万葉を歩く会)のご案内
第11回万葉ウォーキングを以下の要領で開催いたします。奮ってご参加下さい。
◯日 時令和8年4月5日(日曜日)*雨天決行◯集 合=10時00分
JR大和路線「高井田駅」*トイレを済ましてお集まりください。
◯行 程
高井田駅→竹原井頓宮跡(青谷廃寺)→JR河内堅上駅→亀岩→亀の瀬地すべり歴史資料室・亀の瀬トンネル(旧大阪鉄道亀瀬隧道)→ 峠八幡神社→龍田古道入口大伴家持万葉歌碑→磐瀬の杜万葉歌碑→ 神奈備神社→龍田大社→JR三郷駅(
*当日の天候等によりコースを変更する場合があります。◯参加費=二〇〇〇円(資料代を含む)
◯解説者=奈良女子大学名誉教授・坂本信幸 皇學館大学教授・大島信生 武庫川女子大学教授・影山尚之 京都大学教授・佐野宏 同志社大学教授・垣見修司
◯世話人=犬養万葉記念館前館長・岡本三千代
今回歩くのは竜田道。日本最古の官道の一つで奈良県の公式ホームページには以下のように紹介している。
龍田古道(龍田道)は飛鳥時代、奈良時代において大和の都と河内を結ぶ官道として置かれ、『日本書紀』の中で推古21年(613年)11月に「難波より京に至る大道を置く」とあり、斑鳩に居を構えた聖徳太子が設置したわが国最初の官道であったと考えられています。地すべり地である亀の瀬を越える箇所については大和川沿いの道のほか、三室山・雁多尾畑(柏原市)を抜ける道など、幾つかのルートが考えられています。『万葉集』でも多くの歌人がこの龍田道を通り国境の龍田山を越える際に多くの歌を残しており、地理的にも心理的にも重要な地であったことがうかがえます。また、軍事的にも要衝であったことは、高安城の築城や天武元年(672年)の壬申の乱にて戦場となったこと、天武8年(679年)11月に龍田山に関を設けたことなどからもうかがえます。
文中no
推古21年の記事には「大道」としかないので、この道が竜田道であるかは定かではなく、聖徳太子が整備した竹之内街道がこの「大道」ではないかとする考えも以前から行われている。竜田道という名は続日本紀宝亀2年(771年)2月21日条の「車駕龍田道を取りて、竹原井行宮に到る」とあるのが初見である。
一方では斑鳩に本拠を置いた聖徳太子がこの竜田越えの道と、その先にある斑鳩から飛鳥へと向かう筋違道を整えたものではないかとの考えも提出されており、上の奈良県公式ホームページで示された考えもこの説ににっとったものと理解される。
ところで、竜田という地名からは万葉集にも多く読み込まれており、万葉人にもなじみの地であったことが窺えるのだが、多くの人にとっては伊勢物語筒井筒の段の、
風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ
の方がおなじみかと思う。幼なじみと結婚した男が浮気相手の女に出かけたあと、夜の山道を越えようとしている夫のことを案じている歌である。大和の盆地の東の果である櫟本から、竜田を越えて河内の女のもとに通っていたということだから、この男も相当な努力家である。
この時この夫婦が暮らしていたのは天理の櫟本にある在原神社のあたり。
ともあれまた楽しみな会ではあるが、実は私は日程上の都合で前回の第10回に引き続き参加できない。まことに残念な話である。
ただ、この「万葉ウォーキングクラブ」(万葉を歩く会)とは別に、5月に入って万葉学会主催の一日旅行が5月の9日に予定されている。こちらの方はどうやら参加できそうだ。
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